ヒトは、一般に高齢化するに伴い老化が進行し身体機能が徐々に衰えていく。高齢期でも生存の質を維持するには老化の抑制が大切である。老化には様々な要因があるが、その主なものとして、1)DNA損傷、2)過剰な活性酸素(ROS:Reactive Oxygen Species)、3)高血糖が挙げられる。DNA損傷はエピゲノムの変化を招いて細胞再生を混乱させ、その結果正常機能を喪失した身体は老化現象を呈する。過剰な活性酸素は身体組織を損傷して炎症を起こし、老化を進める。高血糖状態が続くと血管がダメージを受け、血流が滞ることで細胞や臓器の機能が低下する。
老化は自然現象という考えに対し、老化は病気であり治療可能という見解がある。一つは「老化の原因は炎症」と捉え、炎症を治すことで老化を止めようとする考え方である[1]。他の一つは「老化の原因はエピゲノムの変化による細胞のアイデンティティ喪失」という仮説[2]である。この場合は、エピゲノムを安定化するサーチュイン酵素の活性化等が老化を止める方策となる。
[1] 後藤眞、老化は治せる、集英社新書2013
[2] デビッド・A・シンクレア、ライフスパン、東洋経済新報社2020
1)DNA損傷による老化とその抑制
エピゲノム安定化にはサーチュイン遺伝子とそれが作るサーチュイン酵素が関わっている。ヒトは7種類のサーチュイン遺伝子(SIRT1からSIRT7)を持つ。SIRT1、SIRT6、SIRT7は細胞核でエピゲノムとDNA修復に関わり、SIRT2は細胞質の中で細胞分裂等を制御する。SIRT3からSIRT5はミトコンドリア内に存在し、エネルギー調節に関わる。サーチュイン遺伝子は生殖能力のコントロールの他、DNAの修復、細胞の生存、代謝、細胞間の情報伝達等の多様な仕事に関わっている。DNAが損傷すると、サーチュインが持ち場を離れ、修復に出動する。DNA損傷が多発し、サーチュインが修復にかかりきりになると遺伝子の制御が疎かになる。その結果、エピゲノムが変化し、細胞はアイデンティティを喪失して正常な機能を失う。これが老化を生じる。エピゲノムの安定化には、サーチュイン遺伝子の活性化が重要である。
サーチュイン遺伝子は数十億年前から存在し、生命のサバイバル回路に関わっている。生命は、進化の中で二つの生存モードを生み出した。このモードの一つは、自己の再生産を促進する成長モードであり、他の一つはそれを抑制するモードである。生命は、生存条件が良くエネルギー供給が潤沢な時には自己の再生産を促進する。逆にエネルギー不足の時には自己の再生産を抑制し、生存条件が悪い時期をやり過ごそうとする。この時に起動するのがサバイバル回路である。生命はこれらのモードを使い分け、時には過酷な環境を生き抜いてきたと思われる。成長モードでは生物の持つ寿命の消耗が早まり、抑制モードはその逆となる。この二つのモードを適切にコントロールすることで老化を抑制できると考えられる。例えば、子孫を作るまでは成長モードを用い、子孫を作った後は抑制モードに移行するのが長寿に繋がると思われる。
モード切替えの鍵となる物質はサーチュイン群の他に、mTOR(ラパマイシン標的タンパク質)、AMPK(AMP活性化プロテインキナーゼ)がある。
mTORはタンパク質の複合体で、成長や代謝を調節する機能を持つ。mTORは、利用可能なアミノ酸量を感知しタンパク質の合成を制御する。mTORは、必須アミノ酸であるメチオニン、ロイシン、イソロイシン等で活性化される。また、飽食の結果として体内にエネルギー源が溢れている時、mTORは活性化し細胞の再生産が促進され、老化が進む。AMPKは筋肉の細胞にある酵素の一種で、SURT1を活性化し、mTORの働きを阻害する。また筋肉への糖質の取り込みを進めインスリンの分泌を減らす機能がある。
サーチュイン遺伝子を活性化し、サバイバル回路を起動するには以下の様な方法がある。
1.カロリー制限
食事制限等で摂取カロリーを減らすと、ミトコンドリアでエネルギー運搬を行っているNADという補酵素が増加する。エネルギーが豊富な場合、NADはNADHとなっている。NADの増加は飢餓状態を意味し、サバイバル回路が起動する。活性化したサーチュインは、老化を加速する遺伝子情報が書かれている部位のヒストンを緩まないように締め付け、老化を抑える機能を持つ遺伝情報が書き込まれている部位のヒストンを緩めて遺伝情報を読み取り、アンチエイジングを進める[1]。
2.植物性たんぱく質の摂取
一部の必須アミノ酸(メチオニン、ロイシン、イソロイシン、バリン)はmTORを活性化する。この摂取を控えるとmTORの活動が抑制される。動物性タンパク質はmTORを活性化するアミノ酸を過剰に含むが、植物性たんぱく質は適度に含んでいる2。そのため平常時には、タンパク質を植物から摂取するのが望ましい。
3.運動
運動を行うと細胞内でATPの消費が増え、これがAMPKを活性化する。またエネルギーを消費するため、NAD濃度が上昇しサーチュインが活性化する。運動は、長寿関連の物質(サーチュイン、mTOR、AMPK)を良い方向に調節する効果がある2。
4.サーチュイン活性化物質(STAC:sirtuin-activating compounds)の摂取
サーチュインの燃料源であるNADの原料となるNRやNMNの摂取が有効と思われる。糖尿病薬であるメトホルミンや、ポリフェノールの一種であるレスベラトロールも効果がある。レスベラトロールは赤ワインに含まれ、特にピノ・ロワール種から作られるワインが良いと思われる2。また、NADはナイアシン(ビタミンB3)から生成されるため、ナイアシンを多く含む食材(アボカド、ブロッコリー等)を摂るのもよいと思われる。
[1] 古家大祐、老けない人は腹七分目、マガジンハウス2012
一方、DNA損傷を低減すればサーチュインの酷使は避けられる。それには以下に挙げるDNA損傷の原因を回避するのが良い。
1.放射線(自然放射線、X線等の電磁波)被曝
2.環境中の化学物質(農薬、染料、食品添加物等)や重金属の摂取
3.たばこの煙や汚染された大気の吸入
4.細胞の複製時の損傷
このうち、1から3の項目は日常生活で回避が可能である。特に有害な化学物質の摂取を避けることが老化抑制の鍵となる。経済効率向上のために化学物質の使用は増加傾向にあり、利便性と健康のバランスの見極めがより重要になると思われる。細胞の複製は生命維持に不可欠であり、染色体複製時に生じるミスによる損傷は不可避である。サーチュインの活動がこのケースの修復に専念できるよう、それ以外の原因によるDNA損傷は極力避けるべきである。
2)過剰ROS(活性酸素種)による老化とその抑制
ROSは、免疫細胞の活動やミトコンドリアでのATP生産等の生命活動に伴って発生する。この点でROSの産出はヒトの生命活動において不可避である。ミトコンドリアはATP産生のため、生体内の約95%の酸素を消費し、そのうち1~3%がROSに変換されると推測されている[1]。身体はROSの害を防ぐ抗酸化能力を持つが、その能力を越えて過剰にROSが発生すると、タンパク質や脂質、糖質、核酸などの生体成分が酸化され、身体組織は正常な機能を失う。また、ROSは身体各部に慢性炎症を引き起こし、老化を進める。
ROS発生の外的要因には、食品添加物、ストレス、紫外線等の電磁波、たばこの煙や排ガス等の汚染大気、激しい運動、過剰なアルコール等がある。
ROSによる老化の抑制には、体内の抗酸化力の向上とROS発生の低減が効果的である。たばこの煙や排ガス吸入を避けることは当然だが、食品に隠れている有害添加物の摂取回避やストレス解消への積極的な取り組みが望ましい。また、抗酸化物として知られる食材を摂取することで、ROSの害を低減できる。
3)高血糖による老化とその抑制
高血糖状態になると、血管の中で大量の活性酸素(ROS)が発生し、細胞膜や細胞の遺伝子にダメージを与える。血管の一番内側の内皮細胞がROSで傷つけられると動脈硬化が引き起こされ、また毛細血管部で血流が滞ることで、酸素や栄養の供給不足が生じ、身体組織の機能不全を引き起こす。
高血糖のもう一つの問題は、糖とタンパク質が結合する糖化である。糖化により体内に終末糖化産物(AGEs=Advanced Glycation End Products)が作られる。AGEsは身体をつくるタンパク質を攻撃し、その機能を低下させる危険な物質である。またAGEsは、タンパク質の翻訳(トランスレーション)時に不適切な修飾を施し、タンパク質の本来の働きを阻害する。この蓄積が老化を引き起こす。
高血糖による老化は、食後の血糖値上昇を抑えることで抑制できる。これにはGI値(Glycemic Index)が低い食物を摂る、糖質は食事の最後に摂ること等の方法がある。また食後に運動を行うことも効果的。
[1] https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/031624.html